はじめまして、ゆーすけです。令和2年午前2:24に今これを書いています。
あんまりSNS等で自己主張するタイプではないですが、私の記事や写真・似顔絵で少しでも興味を持っていただけたら幸いです。
※ゆーすけざっくりヒストリー
- スタート!
<日本ですくすく育つ編> - 渋谷の病院でうまれる。
- 父の鶴の一声「自然があるところに住みたい」で、東京都の多摩に移動
- 中学校までは性格は恥ずかしがり屋でまじめぶって授業ではノートを綺麗に取るもほぼ赤点
- 何を血迷ったか男子校に行き、下ネタをしゃべり出す
- 一年浪人してしまう
- 大学で理系の学科に入る、ここでも男ばっかだったが 、今までどうせ俺なんか誰も好きになってもらえないから敵視していた女性も「同じ人間じゃん、、、喋ることができるじゃん、友だちになれるじゃん」と女友達をつくる。
- 初彼女を作るも・・・かなりメンヘラだったもよう。当時は分からん。
- 大学の推薦もあり家の近くのIT会社に入る、同期の最初の会話はPCゲームの会話、まったくわからない。
- 4年もの間PG/SEとして死ぬほど働いたが、本当に死にそうになったので彼女の影響でまっったく英語は喋ることができないが二人でオーストラリアに移住を近い退社。
<マレーシアで英語留学編> - 彼女がマレーシアのKLで働いていたので、マレーシア内のペナン島にて英語学習開始。
- 英語学校に行くも通っている生徒の英語がへたくそなので、3週間で学校をやめ、バックパッカーズ(安宿)に泊まり、そこで旅行客と喋れば英語の練習になるじゃん!作戦を始める。
- 宿内でイギリス人のおじさんと仲良くなり、毎日2時間プライベートレッスンを行う。
- 7年つきあった彼女と別れる、「私たちの関係進んでる気がしない!」次の日に帰国
- 別れてボーゼンとするもせっかく英語も上達してきたのだからすぐにオーストラリアに行くことはない、旅だ!ということで旅開始。
<一人でバックパッカー編> - シンガポール・マレーシア・タイ・ラオス・ベトナム・インド・中国・香港・台湾と全てバスで旅をしながら中国人の彼女(ケンリー)をゲットする。
- タイでは友だちが来るって事で待ち時間がありすぎたので、その時間でタイ古式マッサージを習う。
- 日本に帰国したのち、オーストラリアへワーキングホリデー。
- オーストラリアでは楽しかったけど、英語はあんまり上達しなかったかな日本人とはつるんでないけど、アジア人・ドイツ・フランス人の友だちが多かった。なんか、こっちであう日本人の男性は変な人が多かった。
<中国でまた学生に編> - ワーキングホリデーの後、ケンリーの両親に会い「ゆーすけ、、、あなたは中国語喋れないでしょ?どうやってコミュニケーションを取るの?」といわれ、はい!中国で勉強します!と中国のシンセンへ移住
- シンセンで仲良くなった日本人のデザイナーさんからいらないということでペンタブレットを貰い、遊び半分で似顔絵を描き始める。
- 2年ほど勉強をしたが、いかんせん勉強はあまりできないので伸び悩む。全然みんなが何を言っているのか分からない。。。が、とりあえず仕事を探さなきゃ!と思っていたらモーリシャスの友だちから連絡があり、「ゆーすけ、アフリカで旅行会社作ろうぜ」といわれ、た、た、た、楽しそう!アフリカに移住。
- アフリカに行く前にケンリーと結婚。
<アフリカ編> - 中国人向けの旅行会社なので私がツアーガイドはできない、そこまで喋ることはできないので、、、で、こっちで何をすれば????友だちが「じゃーゆーすけは写真ね!」。後々お客からのお金でプラスになることを祈りながら一眼カメラなんて触ったこともないのに最新のカメラとレンズ計50万以上を購入。震える。
- カメラが手には入ってする、ウェディングフォトの注文が来る。まったくスキルがないのでとりあえずシャッターを押しまくってこれだけ撮れば何枚かはいいのが撮れるのでは!!!ぶるぶる。
- 2年がんばり、事業も順調に大きくなっていったがちょっとやっかいな事情が起こり事業解散。日本に帰国。
<再度日本でがんばる編> - 日本に帰ってきてもとりあえずアフリカでやっていたこと同じように写真とあと、似顔絵の仕事をもっと大きくしたい!原宿の壁にどどーんと私の作品があるのが夢。
- さー令和の時代もがんばろう!
- いまここ
これを読んで親近感が沸いてくれれば幸いです。